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| 『菱垣廻船の模型』 | |
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見学時間 午前11時〜午後4時 |
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竹尾稲荷神社から岸壁に向かって200メートルほど歩くと、和船の模型を展示している「(株)マルナカ工作所」があります。 ドックと呼ばれる船体を水面から上げて修理する工場は西出町に残っていますが、沖で修理する沖修理をしているのは神戸でもこの会社だけです。 ここの社長さんは淡路島の南淡町出身で22才の時に一万円を懐に、右も左も分らない神戸に出てきて、船大工の修行の後に28才で西出町に造船会社を興したという、高田屋嘉兵衛を彷彿させるような人です。 また、カメラ、水墨画、園芸等々、趣味の広さと腕前は業界では有名な方です。 最近では、南淡町名物のもろみ味噌をアレンジした無添加味噌を開発されたそうで、新しいことに取り組む事が好きな西出町の気質は、社長さんにも引き継がれているようですね。 |
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マルナカ工作所では、船大工の技術を生かして今では珍しい手作りのクルーザーやボートを製作しています。 本社横の工場の前に立つと、右側に製作中の白いクルーザーが見えます。工場長に了解を得て見学させて頂きました。 工場に一歩足を踏み入れると、木の香りと塗料の匂いが漂って、何かしら懐かしい町工場の雰囲気です。 |
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工場長に了解を得て、いよいよ本社にある展示コーナーへ向かいます。 3階まで急な階段を上がると、昔は兵庫津・北浜と呼ばれた兵庫港が見渡せます。 物音に気づいて振り返ると社長さんが展示コーナーの整理をしておられました。 |
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展示コーナーには、菱垣廻船、弁財船、かんこ舟、第三大日丸の4つの模型が展示されています。 一番奥が菱垣廻船、手前左が弁財船、右の赤い船底の船は第三大日丸、その前にあるのがかんこ舟です。 |
展示コーナーの紹介
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菱垣廻船(ひがきかいせん) 縮尺1/20 全長 約1.5m |
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展示コーナー説明板より
江戸時代、上方(大坂)から江戸への商品輸送には、江戸十組問屋の専属船が活躍しました。この廻船は、仲間であることを示す為に、船の側面に菱形の格子を組んでいたことから、菱垣廻船と呼ばれました。この菱垣廻船復元模型は、千石積(米千石の重量を積載できる)廻船を正確に縮小・復元したもので、大阪市で復元された浪華丸(なにわの海の時空館で展示)と同形式の船です。 この菱垣廻船の設計図は旧家から発見されたものです。 発見当時、その設計図の信憑性についての意見が分れたそうです。 そこで、設計図を元に実際に作ってみようということになり、社長さんの友人の淡路島の安部さんと言う船大工さんが製作することになりました。 安部さんは船大工の技術の粋を凝らし、1/20の模型を製作することになります。 船体の木材はその当時使われていたと思われる材料を使用し、打ち付ける船釘の形状も1/20に復元して使用されています。 細部に至るまで図面に忠実に製作されているこの菱垣廻船を検証することで、当時の船大工の技術の高さと図面の正確さを知ることが出来きました。 |
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内部まで忠実に再現されています。開き戸や、この内部にある綱を巻く時に使用する、ろくろなど全て可動です。 |
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船首にぶら下がっているのは「下がり」といいます。この色と形状で船の格が分るそうです。 そういえば時代劇で使う十手も房で位を分けていたといいます。 |
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菱垣廻船の名の元になった菱形の垣模様が綺麗です。 |
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船首はこうなっています。積んである伝馬船が積載の単位になり、この小船で7杯積むと千石だそうです。 本船の大きさから考えると少ないように思いますが、当時の造船、海運技術を考えると今の巨大コンテナ船とクラスということでしょうか。 |
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弁財船(べざいせん) 縮尺1/20
全長 約1m |
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展示コーナー開設板より
優れた造船技術を誇り、経済活動が盛んであった瀬戸内海地方では、江戸時代に弁財船と呼ばれる帆走性能の高い和船がつくられました。その後、弁財船は大型化すると共に、その経済性から日本各地で廻船として普及しました。 とりわけ、大坂と江戸を結んだ菱垣廻船は、側面に描かれた菱形模様とともに、歴史的に良く知られています。 |
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この船も菱垣廻船と同じく安部さんの手によって、忠実に縮小・復元されています。 帆の幅は15反(たん)です。反というのは着物の生地の単位のことです。この場合、帆の幅に何反使っているかが船の大きさの目安になります。 みかんで有名な「沖が暗いのに白帆が見える・・」と歌われた紀伊国屋文左衛門の船は8反の白帆と言われますが、実際は18反の事だといいます。 この弁財船より一回り大きな船と言うことですね。 帆は当時良く使われていた木綿を使っていたそうですが、それ以前は藁(わら)を材料とした莚(むしろ)だったそうです。 |
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弁財船も伝馬船を積んでいて、艀(はしけ)になったり乗組員の乗下船に使用していました。 甲板を外すと船倉があります。ここに荷物を油紙などに包んで積載します。 船倉には、にじみ出て来た海水が溜まるので、ろうそくが燃えて短くなるのを時計代わりして、定期的にくみ出したそうです。 当時のおおらかさを感じるお話ですね。 |
| かんこ舟 と 第三大日丸 | |
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展示コーナー開設板より
かんこ船 鳴門海峡の釣り舟、かんこ舟もそのひとつで、早い潮流を乗り切るために、三枚板造りの肩幅を狭くした小型漁船が利用されて来ました。 「かんこ」とは、もともとは四角い入れ物のことで、それがいつしか船の呼び名として用いられるようになりました。 高松市の瀬戸内海歴史民俗資料館には、かつてのかんこ船が国指定重要有形民俗文化財として展示保存されています。 第三大日丸(曳船) 第三大日丸は、昭和35年に進水しました。神戸の曳き船としては最後の木造船であったことから、後世に木造船の歴史を伝えるため、縮小模型を製作しました。 模型は安部氏によるものです。 第三大日丸のエンジンには「焼玉エンジン」を使用していました。 聞きなれない名前でピンと来ないと思いますが、ポンポン船と言えば思い出される方も多いでしょう。 この曳船(ランチ)の第三大日丸はマルナカ工作所の社長さんが始めて設計をした船です。この船を含め3隻造船されたそうですが、後の2隻は名前が分らないそうです。
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平成14年5月28日
クルーザー完成
進水式がテレビ取材を受けました
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進水式といえば船がレールを滑って海に進んでいくイメージを持たれた方も多いと思いますが、ここ、西出町の海岸線は岸壁になっています。 さて、それではどうするのでしょうか。 手順を説明します。 工場で造船されたクルーザーは台車に乗せられゴロゴロと防潮堤の外側の岸壁に運ばれます。 そこでエンジンの組み込みや電気の配線、ワイヤー類の配線など最終の作業に入ります。 そして全ての作業が終わると進水式です。 |
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進水式はクルーザーをクレーンで吊り上げてソロリと海に浮かべます。 派手さはありませんが、吊り上げる瞬間に傾かないか、岸壁に当たらないかと緊張の連続です。 進水式を聞きつけて集まったギャラリーも固唾を飲んで見守っています。 そして、クルーザーが着水し、吊り上げていたワイヤーが次第に緩みます。 「浮かんだー」と手塩にかけて造ったクルーザーの浮かぶ姿を見て社員一同が歓声を上げました。 |
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船だから浮かぶのは当たり前。と私達はそう思いますが、社長は「この気持ちは船を造った者しか分らんわ」と満身の笑みで語ります。 コンピューターを使い計算し尽くして設計された船でさえも進水式のときにバランスを崩し、転覆することもあるそうです。 |
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この日、読売テレビの「晴れるヤ夢街道 浪花雪之丞一座」が進水式を取材しました。 「神戸・海岸線の旅」で神戸のウォーターフロントを歩く一座は西出町に来て進水式に出くわします。 新造船のクルーザーの操舵席に座らせてもらった上に、その進水式を目の当たりにして、さすが神戸、と感心しきりの様子でした。 |
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社長のクルーザーに乗って兵庫港を疾走した一座は潮風を満喫し、名残惜しく次の目的地を目指します。 この模様は6月9日(日曜日)午前10時55分から読売テレビ10chで放送予定されました。 |