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88年のあゆみ
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元禄9年の兵庫津絵図を見ますと、内海と記された佐比の入江があります。明治29年(1896)頃、この入江を埋め立て、兵庫尋常高等小学校の入江分教場として、二階建ての木造校舎を新築。その後、明治33年9月1日入江尋常小学校として独立、開校しました。 佐比の入江を埋め、その上に建てられたところから学校名を「入江」としました。 |
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| 明治33年度 | 9月 1日 | 兵庫尋常高等小学校・入江分教場が分離独立し、その名も「入江尋常小学校」と改称する。 創立第一歩の記念すべき日となりました。木造2階建ての瓦葺き1棟新築。 |
| 4月 7日 | 観艦式挙行につき水兵が上陸。本校にも休憩所を命ぜられ、西出町衛生事務所から茶菓と、煎り麦1斗の寄贈を受けました。 | |
| 1月 1日 | 元日早々、西出町日向神社から出火。市内近隣の各校校長や職員の見舞客があり、職員は臨時勤務でその応接にあたりました。多忙混雑極まる。 | |
| 明治36年度卒業式の写真 | ||
| 明治38年度 | 1月21日 | 新校舎落成式を挙行。 |
| 明治41年度 | 全校児童諏訪山に登り、観艦式を遠望する。 | |
| 明治43年度 | 12月15日 | 北校舎落成式を挙行。 |
| 明治44年度 | 5月24日 | 校庭築山に天照大神宮祠を建設する。 |
| 明治45年の校舎の写真 | ||
| 大正 2年度 | 4月 1日 | 新入学児童の控え所として信成幼稚園を借用する。 |
| 6月 7日 | 本日より正門前を電車が開通するため、生徒に注意を与える。 | |
| 大正 7年度 | 8月12日 | 午後8時過ぎ、市内で米騒動勃発。学校付近の米穀雑穀商家にも来襲の噂あり、学校においても厳重警戒をする。 |
| 8月13日 | 昨日来の米騒動の余波を受け、午後9時頃、暴徒のため北校舎の窓ガラスを破砕された。 | |
| 大正 9年度 | 4月 1日 | 高等科併置、「入江尋常高等小学校」と改称する。 |
| 大正12年度 | 9月 1日 | 午前11時59分頃、強震あり。関東地方で大被害ありとのニュース。 |
| 9月 6日 | 関東大震災に対し、第1回の義援金として金七百円也を送る | |
| 大正15年度 | 4月 1日 | 神戸市学制改革により高等科を廃止し、「入江尋常小学校」と改称する。 |
| 3月 1日 | (昭和2年)本館鉄筋三階建て竣工する(600坪)。 | |
| 昭和 3年度 | 8月21日 | 今秋の御大典記念事業として、全市小学校に二宮尊徳翁の銅像の寄贈あり。本校においても寄贈を受け、本館に向かって右側に建設、除幕式を挙行致しました。 |
| 昭和 7年度 | 5月13日 | 前年の満州事変突発により、軍用機建造資金として職員児童より金57円也を献金する。乏しい中から、おやつまで辛抱させて、かき集めた頃が思い出されてきます。 |
| 7月10日 | 貧困児に給食を開始する。今の給食とは似ても似つかぬしろもので、竹の皮に包まれた、おにぎりとつくだ煮や漬け物が入っているくらいの物でした。一般の者には給食はありません。 | |
| 3月25日 | 三陸地方震災義援金として、職員児童より金35円23銭也を発送する。 | |
| 昭和10年度 | 9月 9日 | 北校舎鉄筋三階建て(483坪)、及び倉庫を竣工する。この年全校児童数が2,410名と、最多となりました。 |
| 昭和11年度 | 6月19日 | 日食観測をする。児童達は「すす」でいぶしたガラス越しに太陽を眺めました。6年生児童有志は望遠鏡で観測記録して活躍をしました。その時、辺りは夕方のように薄暗くなり、学校近くの民家から、時を告げる鶏のおどろきの鳴き声を聞きました。 |
| 8月12日 | 納涼盆踊り大会を校庭において行なう。児童や一般父兄多数が来校して、盛大に行なわれました。なかでも木曽節、元禄花見踊りによる踊りが一番好評をうけ、やぐらの周りを3重4重にかこみ、浴衣姿で納涼気分を満喫していました。 | |
| 昭和13年度 | 7月 5日 | 神戸地方、未曾有の豪雨に見舞われる。鍛冶屋町辺りの市電に一時高潮が来た程度で、校下は無事でした。市電、自動車など市内交通機関は一斉に止まり大混乱しました。 |
| 昭和14年度 | 土俵開きに双葉山、羽黒山、名寄岩が来校。双葉山全盛の時代で、大人気の力士に来てもらって児童も大人も大喜びでした。 | |
| 昭和16年度 | 4月 1日 | 「小学校」に訣別、本日より「入江国民学校」と改称する。 |
| 12月 8日 | 太平洋戦争始まる。 | |
| 1月22日 | 金属回収。鉄柵、ストーブ、溝ぶた、そして「二宮金次郎」の銅像も、ついに出陣。赤たすきを掛けて、全校児童の見守るなか搬出される。 | |
| 昭和17年度 | 4月21日 | 空襲警報発令、午後4時20分。同解除午後6時35分。突如として来た米機、焼夷弾を落とし、南の方に逃げ去る。西出町民の驚き一方ならず、噂が四方にとぶ。 |
| 3月19日 | 県食糧営団より味付けパンの配給を受ける。喜んでもらったあの日、思い出は各人各様だった。 | |
| 昭和18年度 | 7月28日 | 暑いのに待避防空壕の構築を始める。運動場に6つ作りました。この壕のおかげで、児童学籍簿の焼失は免れました。 |
| 昭和19年度 | 4月18日 | 校庭の南半分に菜園を作る。 |
| 7月22日 | 縁故疎開不能者の調査。戦況激烈の様相を示す。 | |
| 8月29日 | 集団疎開で朝来郡へ出発する。 | |
| 3月17日 | 神戸地方に米機約60機来襲、相当の被害があった。 | |
| 昭和20年度 | 11月30日 | 集団疎開児童約150名が、1年3か月ぶりに帰校する。木造2階建ての南校舎は廃虚と化し、本館は枠だけが残り、中味は全部焼失していました。北校舎が唯一の頼りという事です。この時期の児童数は約600名でした。 |
| 昭和21年度 | 8月26日 | 戦争中崇拝の的であった奉安殿の撤去始まる。至上命令とはいえ、余りにも美しく立派であった奉安殿の解体は、勿体無いような、割り切れないような複雑な気持ちで終始しました。 |
| 昭和22年度 | 4月 1日 | 「神戸市立入江小学校」と改称する。 |
| 6月30日 | 校門前に待望の地下道開通する。 | |
| 昭和23年度 | 2月 3日 | 本校第3回の卒業生であり、日本における版画家の泰斗として、つとに著名な川西英先生をお招きして、版画のご指導を仰ぎました。 |
| 昭和24年度 | 4月26日 | 二宮尊徳像の寄贈あり、除幕式を行なう。 |
| 昭和26年度 | 2月29日 | 講堂落成する。着工以来11か月待望の講堂がついに完成し、校下を挙げて喜びにわきました。 |
| 3月 7日 | 創立50周年を記念し、講堂落成記念式典を華々しく開催する。 | |
| 昭和28年度 | 4月28日 | 郷土の偉人、高田屋嘉兵衛翁の顕彰除幕式が、神戸市長原口忠次郎ご臨席のもとに挙行する。 |
| 昭和31年度 | 9月12日 | 「入江音頭」の公開練習を開始する。 |
| 昭和33年度 | 7月19日 | 見て学び、ながめて楽しむ、入江水族館が完成する。 |
| 昭和35年の校舎の写真 | ||
| 昭和47年度 | 6月28日 | 6コース20mプールが完成する。 |
| 昭和52年度 | 3月27日 | 正門前に大歩道橋が完成する。 |
| 11月25日 | 入江郷土室ができる。 | |
| 3月 1日 | ミニ文化ホールができる。 | |
| 昭和53年度 | 10月 1日 | 仲良しホールができる。 |
| 3月20日 | 入江の池が完成する。 | |
| 昭和54年度 | 11月 7日 | 米飯給食試行始まる。 |
| 2月22日 | ランチルームができる。 | |
| 3月21日 | 本館玄関に校章を取り付ける。 | |
| 昭和55年度 | 11月 9日 | 創立80周年記念式典、東山魁夷画伯記念講演 |
| 昭和56年度 | 5月27日 | ポートピア博覧会見学。 |
| 昭和57年度 | 2月28日 | 飼育小屋設置「いりえ動物園」と命名する |
| 昭和59年度 | 1月25日 | 神戸市連合音楽会に兵庫木遣音頭で出演する。 |
| 2月15日 | 兵庫木遣音頭鑑賞会。 | |
| 昭和62年度 | 6月21日 | 音楽会で兵庫木遣音頭を全校生で演奏する。 |
| 9月10日 | 統廃合する入江・東川崎・橘の三小学校児童の交流行事開始。4年生が青少年科学館見学。 | |
| 9月15日 | 5年生が自然教室。 | |
| 10月 4日 | 秋の大運動会。 | |
| 10月13日 | 1〜6年生が造形の会。 | |
| 10月15日 | 日曜参観と入江を偲ぶ会を開催する。 | |
| 10月30日 | 1〜3年生が須磨水族園を見学する。 | |
| 11月20日 | 5年生がこべっこランド(神戸市総合児童センター)開館式に出演する。 | |
| 3月24日 | 昭和62年度卒業式(卒業生68名)。創立以来の卒業生は19,234名となります。 | |
| 3月25日 | 閉校式。創立88年の歴史を閉じる。 |
入江小学校60年史・入江小学校閉校記念誌より