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児童数の変遷

明治33年 1,238名(入江尋常小学校として開校)
38年 1,433名(新校舎落成)
43年 1,581名(北校舎改築)
大正 4年 1,819名(南校舎増築)
9年 1,989名(校地拡張・南校舎増築)
14年 1,532名
昭和 5年 2,180名(昭和2年本館鉄筋3階建新築)
10年 2,410名(北校舎鉄筋3階建新築・児童数ピーク)
15年 2,093名
21年   849名(終戦・本館鉄筋半焼、南校舎木造全焼)
25年 1,134名
30年 1,602名(南校舎増築)
35年 1,780名(南校舎増築、戦後の児童数ピーク)
40年 1,206名
45年   956名(講堂改築)
50年   653名(昭和52年入江郷土室をつくる)
55年   504名
60年   344名
62年   333名(63年3月創立88年の歴史を閉じる)


「閉校記念誌より」

開校後、昭和10年にピークを迎えるまで、児童数は年々増加してしてきたということが児童数の変遷グラフでよく分ると思います。
大正14年の落ち込みがなければ、順調な右上がりのグラフです。
なぜこの大正14年に児童数が落ち込んだのかという記録は見つかりません。
しかし、当時の社会情勢を考えることで説明がつくと思います。
大正3年に始まった第一次世界大戦による戦争景気で神戸には船成金が溢れました。しかし、物価も高騰し庶民の生活は苦しくなったようです。
そして、大正7年、有名な米騒動、翌大正8年には川崎、三菱で3万人の労働者が40日もストを行った大争議など、社会は次第に荒れていきました。
こうした中で、大正9年を境に次第に学童は家族とともに一時的に他の地域に移ったのではないかと考えられます。
尚、昭和21年の落ち込みは第二次世界大戦によるものです。


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