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西出町の歴史年表
| 歴史を振り返る |
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西出町及び近隣地域の歴史を少し紐解いてみました。年表にしてみると、時代の節目に西出町周辺の変革が見受けられます。 一の谷の合戦、湊川の合戦、応仁の乱など多くの戦いで、この地が戦場となり荒廃。慶長元年の大地震で建物倒壊と火事で壊滅。そして、江戸時代には海運の重要基地となり物資の集散市場としてどんどん発展してきます。 明治の始めには、港の中心が兵庫津から神戸港に変わり沈滞傾向になります。 大正始め、第一次世界大戦の造船需要で船成金を生む繁栄振り。太平洋戦争の敗戦。戦後の昭和40年頃までは高度経済成長期。その後海運・造船の不況。産業・経済の変遷で郊外への人口流出。 未曾有の大惨事となった阪神・淡路大震災でさらに人口が減少。と、これまで何度か栄枯盛衰を繰り返しています。 あたかも、「禍福は糾える縄のごとし」という言葉のように時代の流れに翻弄されつつも、西出町地域住民は進取の精神で状況を乗り切ってきました。 そして今、西出町地域住民は地域活性化のため、歴史・文化を掘り起こし、21世紀に広がる夢と期待に花開かせようと立ち上がりました。 また、中国の古典「論語」の「故きを温ねて新しきを知る」という言葉のように、西出町地域の歴史を振り返り、足もとを見つめ直し、そして未来に役立てていくことも大切である、とこの年表は物語っています。 |
| 海上交通の良港として栄え、大輪田泊と呼ばれた、摂播五泊のひとつ | |||
| 平清盛は風の難を逃れるために、経が島を建設、大輪田泊の修築。 | |||
| 1180年 | (治承 4) | 清盛が福原に新しい都を造る(福原遷都)。半年後京都に都を返した。 | |
| 1184年 | (寿永 3) | 一ノ谷の合戦で平氏は義経の鵯越えの逆落しの奇襲に敗北。 | |
| 鎌倉時代 | 1196年 | (建久 7) | 東大寺大仏の再建をした俊乗房重源が大輪田泊を修築。 |
| 1336年 | (延元 1) | 湊川合戦で楠木正成は足利尊氏・直義兄弟を迎えて戦ったが戦死。 | |
| 室町時代 | 1467年 | (応仁 1) | 応仁の乱で激しい戦いが繰り返され兵庫津はしだいに荒廃。/td> |
| 安土桃山 | 1580年 | (天正 8) | 池田信輝が兵庫城を築城。 |
| 1596年 | (慶長 1) | 慶長大地震のため兵庫津のほとんどが壊滅状態。 | |
| 江戸時代 | 1603年 | (慶長 8) | 江戸幕府が成立 |
| 1672年 | 河村端賢が幕府の命により西廻り航路を開く。兵庫津の繁栄はじまる。 | ||
| 1673年 | (寛文13) | 検地帳で西出町の町名が現れる。 | |
| 1676年 | (延宝 4) | 検地帳で東出町の町名が現れる。 | |
| 1696年 | (元禄 9) | 兵庫で一番古く、歴史的にも貴重な「元禄兵庫津絵図」が作られた | |
| 1718年 | (享保 3) | 官要録に東川崎町の町名が現れる。 | |
| 1769年 | (明和 6) | 「明和兵庫津絵図」制作。兵庫津が幕府の直轄地(天領)となる | |
| 1789年 | (寛政 1) | この頃、西出町鎮守稲荷神社鎮座。 | |
| 1790年 | (寛政 2) | 高田屋嘉兵衛淡路を出て西出町に来住、兵庫津繁栄期。 | |
| 1824年 | (文政 7) | 嘉兵衛が西出町鎮守稲荷神社に石灯籠を献上する。 | |
| 1827年 | (文政10) | 高田屋嘉兵衛、生地の淡路島都志にて病没。 | |
| 1850年 | (嘉永 3) | 西出町鎮守稲荷の再建。 | |
| 1862年 | (文久 2) | 「文久兵庫津絵図」の制作。 | |
| 1866年 | (慶応 2) | 諸物価暴騰に兵庫津で打ちこわし(兵庫のコボチ)がおこる。 | |
| 1867年 | (慶応 3) | 神戸開港、世界の港として第一歩を踏み出す。兵庫津は衰退していく。 | |
| 明治時代 | 1868年 | (明治 1) | 王政復古。(慶応3.12.9=1868.1.2・慶応4=明治元年) |
| 1872年 | (明治 5) | 湊川神社、官幣社として創建(5月24日)。 | |
| 1872年 | (明治 5) | 七宮尋常小学校・明親尋常小学校・和田尋常小学校が開校。 | |
| 1886年 | (明治19) | 川崎正蔵が官営の兵庫造船所の払い下げを受け、川崎造船所を創設。 | |
| 1889年 | (明治22) | 神戸市制実施(人口134,704人)。区会設置、葺合・神戸・湊西。 | |
| 1896年 | (明治29) | 兵庫運河起工式。区会設置、神戸・湊東・湊西・葺合・湊・林田。 | |
| 1897年 | (明治30) | 度々決壊していた湊川の付け替え工事開始。 | |
| 1900年 | (明治33) | 兵庫尋常高等小学校・入江分教場を分離独立し入江尋常小学校開校。 | |
| 1901年 | (明治34) | 湊川付け替え工事が完成し、新湊川への通水式を行なう。 | |
| 1905年 | (明治38) | 旧湊川の地ならし工事が終わり、新開地・川崎本通りが出現した。 | |
| 大正時代 | 1912年 | (大正 1) | 明治天皇崩御、7月30日大正元年始まる。(=明治45年) |
| 1912年 | (大正 1) | 川崎造船所のガントリークレーン完成。(昭和37年撤去) | |
| 1913年 | (大正 2) | 市電、楠公前から西出町を通り、島上町間が開通。新開地に娯楽施設・聚楽館完成。 | |
| 1914年 | (大正 3) | 第一次世界大戦が勃発。(〜1918年) | |
| 1918年 | (大正 7) | 8月12日・神戸市内で米騒動。13日・入江小学校も被害。 | |
| 昭和時代 | 1926年 | (昭和 1) | 大正天皇崩御。12月25日昭和元年始まる。(=大正15年) |
| 1927年 | (昭和 2) | 東川崎町、香月山教秀寺第12代住職・憲応法師が今のモダンな寺館を建立する。 | |
| 1928年 | (昭和 3) | 天皇即位奉祝。木遣音頭の踊り披露を始め、各地で祭り一色となる。 | |
| 1929年 | (昭和 4) | 世界恐慌がおこり不況深刻化、労働争議の続発。 | |
| 1931年 | (昭和 6) | 神戸市に区制施行、灘・葺合・神戸・湊東・湊・湊西・林田・須磨。 | |
| 1933年 | (昭和 8) | 11月7日・第1回みなとの祭り開催。湊西区を兵庫区と改称。 | |
| 1938年 | (昭和13) | 阪神大水害。3日間で460ミリの降雨量、水被害は神戸市全体の59% | |
| 1941年 | (昭和16) | 太平洋戦争始まる。 | |
| 1945年 | (昭和20) | 3月17日・B29による空襲で大きな被害を受ける(神戸大空襲)。8月15日・終戦 | |
| 1945年 | (昭和20) | 神戸区は生田区に、湊東・湊を廃止し、生田の一部と共に兵庫に吸収、林田は長田区に。 | |
| 1947年 | (昭和22) | 兵庫木遣保存会を結成。歴史ある貴重な木遣音頭を後世に残すために活動開始。 | |
| 1971年 | (昭和46) | 第1回神戸まつり・はっぴいまつり開催。 | |
| 1973年 | (昭和48) | 湊町地下道に神戸港を描いた川西裕三郎氏作のモザイク壁画が完成。 | |
| 1980年 | (昭和55) | 兵庫木遣音頭が兵庫文化百撰に選ばれる。 | |
| 1980年 | (昭和55) | 葺合区と生田区が合区し、中央区が誕生。 | |
| 1985年 | (昭和60) | 西出・東出・東川崎地区まちづくり協議会を結成。 | |
| 1988年 | (昭和63) | 神戸市立入江小学校閉校、創立88年の歴史を閉じる。 | |
| 平成時代 | 1989年 | (平成 1) | 第124代昭和天皇崩御、1月8日平成元年始まる。(=昭和64年) |
| 1992年 | (平成 4) | 神戸ハーバーランドオープン。 | |
| 1995年 | (平成 7) | 阪神・淡路大地震発生、1.17.AM5.46(火)満月、この日を忘れない! | |
| 1997年 | (平成 9) | 兵庫木遣音頭が神戸市登録無形民俗文化財に認定・登録される。 | |
| 2001年 | (平成13) | 小さな歴史資料館「まちなか倶楽部」10月14日完成。 | |
| 2001年 | (平成13) | 「WEBにしでまち・西出町自治協議会公式ホームページ」を開設・11/20 |